壁紙の張り替えを検討する際、多くの方が「平米(㎡)」で予算を考えがちです。しかし、我々プロの会話では常に「メートル(m)」が単位になります。ここに、壁紙選びの第一の関門があります。
日本の壁紙のほとんどは、サンゲツ、リリカラ、シンコール、トキワ、東リ、ルノンといった国内一流メーカーの品を含め、横幅が92cm〜93cmという規格で決まっています。
施工時には隣り合う壁紙を数センチ重ねて貼り、その真ん中を切り落としてつなぎ目(ジョイント)を美しく仕上げます。そのため、実質的な計算幅は「90cm」として扱うのがプロの常識です。
つまり、壁紙を1メートル注文するということは「幅90cm × 長さ100cm」の布を1枚買うということ。この「90cm幅のロール」を何メートル使うか。ここから、プロとアマチュアの決定的な「コストと品質、そして情熱の差」が生まれます。
横幅90cm。部屋のすべての壁を貼るのには何枚必要なのか?その枚数に×壁の高さmを掛けて価格を割り出す。
ここで、最近耳にすることが増えた「糊付代行サービス」について解説しましょう。
これは、内装材料の販売店や専門業者が、「糊の付いていない壁紙」を預かり、専用の大型機械で糊を付けた状態で現場まで配送してくれる非常に便利なサービスです。最近では我々と同じ糊付機を車に積み込み、糊付して持ってきてくれるような小回りの利くサービスも出てきました。
職人にとっては、現場に重い機械を持ち込む必要がなく、届いた瞬間から貼り始められる。私もかつて、事務職などの人員を再配置し、このモデルを自社独自の「事業構想」として検討したことがあります。社内リソースを有効活用し、現場の負担を減らす仕組みとしては非常に理にかなっています。
しかし、これを「他社の外注」として事業を広げようとすると、話は一気にシビアになります。決められた施工予算の中から、決して安くない代行費用を捻出するのは、経営的に見て非常に「二の足を踏む」サービスなのです。
また、「1日2現場こなせる!」と謳う代行サービスもありますが、現実はそう単純ではありません。外注費で利益を削った分、より過酷なスケジュールで現場を回らなければならなくなり、結果としてスタッフに無理な労働を強いることになりかねないからです。重い機械の上げ下げという労力をカットできても、経営のバランスが崩れては「三方良し」にはなりません。
これが、私が現在「糊付代行サービス」をやっていない理由です。
軽ワゴンにすっぽり収まる糊付機のサイズ。糊付代行サービスはここで糊付けをし、運んでくれる。
では、具体的な数字で見てみましょう。DIYで人気の「糊付き壁紙」、便利な「糊付代行」、そしてプロが「自前の糊付機」を使う場合のトータルコスト(壁紙代+加工費)の比較です。
※概算価格算出根拠:糊なし壁紙200円/m、ネット糊付き550円/m、代行手数料150円/m、自前糊代10円/m。送料別。
一軒家(3LDK)の丸ごと貼り替えでは、糊付機と糊付き壁紙では8万円以上の差が出ます。この差額は、そのままお客様への見積価格に跳ね返ります。すでに施工予算が決まってる場合などは「プロが既製品の糊付きを使えば赤字になる」というのは、決して誇張ではありません。
調合した糊を糊付機に移す様子
プロが現場に持ち込む糊付機は、本体重量だけで約30kg。周辺機材や糊を合わせれば100kgを越えることもあります。
もちろん、我々もただ闇雲に力任せに運んでいるわけではありません。台車を駆使し、どうすれば最短ルートで搬入できるか、現場ごとに戦略を練ります。
しかし、エレベーターのない5階の現場や、ほんの数枚だけを貼り替える「部分貼り替え」の現場では、また別の対策を考えます。
そういった場合は、事前に糊付けを済ませた壁紙だけを持ち込むこともあります。
これは単なる効率化ではありません。「自分の体に無理をさせないこと」も、プロとして長く現役で走り続けるための大切なスキルなのです。
無理な重量物を運び続けて腰を痛めてしまえば、最高のパフォーマンスは発揮が出来ないばかりか一生に関わります。現場の状況を読み、最適な搬入方法を選ぶ。これもまた、経験に裏打ちされたプロの判断ですし、経営者の総合的な責任です。
30kgの糊付機だが、荷車が付いており楽に移動が出来る。階段がなければ全く問題がない。
糊付機を現場に持ち込む最大の理由は、実は「コスト」以上に「品質」にあります。
壁紙を貼る際の「糊」は、実は生き物です。
その日の気温、湿度、そして何より「壁の下地の状態」に合わせて、糊の濃度(水分量)を微調整します。
「この壁は乾燥が早いから、少し糊を厚めにしよう」
「このクロスは薄いから、糊の水分を少し絞ってヨレを防ごう」
貼り出すタイミングに合わせて、その場でベストな配合に調合する。この「鮮度」と「調整」こそが、数年経っても剥がれず、美しい仕上がりを維持する秘訣です。あらかじめ糊が付いている既製品や代行サービスでは、この「現場に合わせた微調整」が不可能とも言えます。
「糊の調合」40年の熟練職人の技術を学べる
ネットで「糊付き壁紙」を検索すれば、サンゲツ、リリカラ、シンコール、トキワ、東リ、ルノンといった国内一流メーカーの品がずらりと並びます。しかし、スマホの画面だけで安易に注文するのは、プロの視点から見ると非常にリスクが高い行為です。
「安くて色が良さそう」と選んだものが、実は「非常に薄くて貼りづらいクロス」である場合が多々あります。
薄いクロスは壁紙としての機能性が低いことが多く、下地のわずかな凹凸を拾って仕上がりが悪くなったり、衝撃に弱かったりします。
我々プロは、現場の下地の状態を見て「この壁なら、この厚みのクロスが最適だ」とアドバイスします。技術を振るう前に、施工後のお客様の幸せのために、最適な「材料」を選定する。この選別眼こそが、お客様が支払う代価に含まれる「目に見えない価値」なのです。
DIYなら: 糊付き壁紙で十分です。手軽さを楽しみ、家を愛でる素晴らしい時間になります。
糊付代行は: 状況によっては選択肢に入りますが、プロのメイン手法としては限界があります。
プロとして生きるなら: 「糊付機」の一択です。
糊付機を現場に持ち込む。一見、効率が悪いと思われるかも知れません。
それは、徹底的なコスト削減によってお客様に適正価格を提示するため。
そして、その瞬間の現場に最適化した「糊」で、最高鮮度の施工を行うため。
あの30kgの重みは、お客様の笑顔のために、クロス職人が長年の経験から導き出した最適の答えなのです。
重い。上げ下げにはやはり手間がかかる。それでもこの30kgを運ぶのは、貼り終えた後の壁を見たお客様の『やっぱりプロに頼んで良かった』という笑顔が、何よりの報酬だと知っているからです。
Kitano壁紙スクールは糊付機の使い方もカリキュラムに含まれており、多くの受講生が学んでいる。糊付機カリキュラム不要のご要望もオーダーコースで受け付けています。